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Biographie

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Junko YAMASAKI : née à Kagawa, Japon, le 8 déc. 1961, vis et travaille à Nice depuis 1996.
Arrivée en France 1994, ai obtenu le DNAP à Dijon 1995 et le DNSEP à la Villa Arson 1999.
 
Le psychologue, Shu KISHIDA dit :  

— L’être humain est un animal dont l'instinct est brisé, car il se sait mortel…

Le calligraphe, Kyûyô ISHIKAWA dit :  

— La culture a débuté en blessant la Nature, car nous avons commencé par graver la pierre et le bois…

 

L'être humain est complexe, je ne pense pas qu'il soit ni supérieur ni plus intelligent que les autres êtres vivants, en tout cas il se complique la vie, notamment avec le langage.  Il a un besoin spécifique de « satisfaction mentale »…

En tant qu’artiste qui partage sa vie entre le Japon et la France, je voudrais, par la diversité de mon travail, voir et montrer l'amour et la beauté du monde qui nous entoure et des êtres humains qui sont avant tout des animaux dotés de langages, de cultures et de vies différents.

ヤマサキ純子
 
1961年 128日  香川県 坂出市 生れ
高松市にて育つ

1981–1994年  京都に住む

1984年  嵯峨美術短期大学を卒業
1987年  精華美術大学を卒業
 
1994年 1113日  ディジョンに渡仏

1995年  ディジョン国立ボ・ザールで   DNAPを取得

1999年  ニースの国立 ボ・ザール・ビラ・アルソンでDNSEPを取得

 

1996年 77日より  ニース在住  

制作・発表活動

Au Japon,  j'avais toujours un doute ; cette société - marquée à trois reprises depuis le XVI siècle par des traumatismes générés par des occidentaux - a un côté inhumain.

J'ai fait la tentative de suicide à l'âge de dix ans…

 

À l'époque je ne comprenais pas pourquoi.

Le fait d'y avoir grandi et appris le mode de vie japonais m'en a fait ressentir la problématique.

Cela m'a poussée à aller vivre ailleurs. J'ai choisi la France, pas pour son art plastique, plutôt pour la musique de la langue française.

Ensuite en descendant de Dijon à Nice, j'ai compris pourquoi beaucoup d'artistes sont venus et ont aimé le Sud, appréciant ses ciels, paysages et lumières...

Maintenant, avec le recul de ma vie en France,  je réfléchis sur mon travail en comparant ou en mêlant ces deux cultures, parfois opposées, allant même jusqu'à la transgression.

J'aime beaucoup la culture japonaise, moins la société.

心理学者、エッセイスト、岸田秀は、云う。

「人間は、本能の壊れた生きものである。なぜなら人間は、いつかは死ぬ、ということを知っている……」

書家、書道史家、石川九楊は、云う。

「文化は、自然を傷つけることから、始まった。なぜなら我々は、石や木に傷をつけて、痕跡を残しはじめた……」

 

人間は、複雑な生きものである。

しかしながら私は、ほかの動物や植物たちより、優れているとも賢いとも、思わない。

ただ云えるのは、言葉を使って、生きることを複雑にし、精神の充足を必要としている生きものだ、ということである。

 

日本とフランスという二つの国の間で、生きるアーティストとして、様々な姿をもつ作品を通して、私たちを取りまく世界の、そして異なった言葉や文化をもつ我々人間の、生と死のハザマにある、愛と美しさを、見たく、見せたいと願っている。

日本で、暮らしていた時、いつも何かが、おかしい、変だ、と感じていました。私自身、10歳の時、子供っぽい自殺未遂を経験しています。

長い間、日本社会には、なにか非人間的な側面があると感じていました。でもその当時は、全く理由がわかりませんでした。地元を離れ、成人し、社会にも出て、日本の社会生活を学んでいけばいくほど、私は、なにか分からない、でも何か問題があることを感じていました。

 

そしてそれは、他の国を見てみたい、知ってみたいと思わせる原動力となりました。

幸運にも、外国人学生が多くいる京都に住んでいた私は、同じように感じている外国の友人達に出会いました。

フランスを選んだ理由は、音楽(バルバラ、ポルナレフ、セルジュ・ゲーンズブール、フランス・ギャル、リタ・ミツコなど)フランス語の音の美しさからでした。ただしフランス語がある程度、理解できるようになると、美しく聞こえる言葉は、汚い言葉も強烈だということを知ることになりましたが……

 

そして、フランスに住みつき、時間をかけて、外から日本を見つめ直してやっと、日本は、16世紀以来、3度に及ぶ、西洋人によって引き起こされたトラウマを抱え、それを、真に理解し、真正面から捉え、把握できている人が、数少ないことに気づくことができました。もちろん、それを理解している方々が、日本にいらっしゃることも事実です。

1度目は、南蛮人到来。

2度目は、ペリーの黒船。

3度目は、原爆を落とさずとも、アメリカは勝つことができていたのにも関わらず、二度も落とされた原爆による敗戦……

ディジョンから南のニースに、ある偶然から、やって来ることになり、地中海、瀬戸内海、大きさは違えども、内海という海に面した街に住み、日本でも見たことのある懐かしい植物や風景に出逢いました。そしてニースは、私にとって今までの人生の中で、一番長く住む土地になりました。

そして20世紀、多くのアーティストが、南仏にやってきて、風景、空、その光による色の変化などを愛して、制作をした理由を理解することもできました。 

 

今、私は、大好きな日本の文化とフランスでの経験を生かし、相反するとも云えるこの二つの国(地球の裏側にあるためか、いろいろなことが反対の表現です。例えば白黒は、黒白、裏表は、表裏など…)の間で、作品を制作しています。そしてまた時には、タブーとも云える作品があると自覚しています。

日本文化に関しては、伝統的なものも、現代のものも (インターネット様々です!) 含めて、素晴らしいと思っています。

しかし残念ながら、日本社会を好きになることは、大変難しいです。

最後に、忘れられない、今は亡き父とのやりとりを綴らせていただきます。

「純子にとって、日本とフランスとの間の一番大きな違いは、何か?」

「日本よりずっと自由に生きられること!」

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